イーサン・ザッカーマンのMastodon記事について
イーサン・ザッカーマンのMastodonについての興味深い記事を読んだ。 イーサン・ザッカーマンはGlobalVoiceの創立者でメディア研究者。MIT Center for Civic Mediaのセンター長でポップアップ広告の開発者(tripod)w としても知られている。 彼が数日前にこんな記事を自身のブログにアップした。
イーサン・ザッカーマンがMastodonについて書いた記事を読んだ。
Mastodon is big in Japan. The reason why is… uncomfortable
イーサン・ザッカーマンはGlobalVoiceの創立者でメディア研究者。MIT Center for Civic Mediaのセンター長でポップアップ広告の開発者(tripod)w としても知られている。
ITmediaで日本におけるMastodon拡大の立役者'@mazzo'さんが速攻で記事にしている。流石。ただ、ITmediaでは、Mastodonをにわか知識で批判しているように書かれていて、そうした面も確かにあるだろうし、文化の違いに依る誤解が根底にある気もするけれど、イーサンが指摘していることは日本におけるMastodon拡大そのものの批判だけではないような気がしてモヤモヤした。そのモヤモヤは、7年前のこのTEDの講演を見ていたからかも知れない。
イーサンはこの講演で、デジタルな繋がりはネット初期に考えられていたような、デジタル化があらゆるものの隔たりをなくすのではなく、むしろ既存のつながりの強化と、それ以外を分かつことを加速していて…そこに橋を渡すことが大切だと言っている。ただ、彼も[GlobalVoice](https://jp.globalvoices.org)のような試みで橋渡しを仕掛けているが、それほど成功しているとは言えない状況だと言う。そしてそれは現在でも続いているように思う。
では、例えばMastodonのような脱集中化を目指す、より簡単な手段の登場で、大小たくさんのインスタンスが生じることになるとして、彼が理想とするような真のグローバルなつながりを持つ大きな存在に、果たしてなっていくのか…?
つながりを広く豊かにするためにMastodonのようなツールがどう寄与できるのか?
確かにMastodonだけでそれを実現することは難しいだろうし、それができたとして、多くの人が、社会が(相容れない例えば文化的隔たりのある)ある種のクラスタを超えた交流を行うような方向に進むのか?と考えると、いわゆる「グローバルボイスに耳を傾ける」という理想を目指す側から見て、日本で垣間見られる状況は、まだuncomfortableな状況かも知れない…。
Mastodonの機能である他インスタンスの発言を収集する「連合」という仕掛けはそこに有効なはずだが、この記事では触れられていなし、実際にも「連合」の利用というのはあまり表に出ない(=有効ではない?)、重要視されていないところのようにも思う。そこに何らかの鍵が隠されているようにも思うのだけれど…。
興味と関心を同一とするコミュニティが相互に豊かにつながっていく、そうした未来を、ネットの初期に夢想したあの頃が懐かしい。Mastodonがそんな夢を実現する手段となるのかはまだわからないけれども、閉じているにせよ様々なクラスタで居心地の良い状況を作り出していることは間違いなくて、文化的相違があったとして、そこを批判される理由はないと思うし、理想につなげる可能性をMastodonは確実に大きくしているはずだ。そこに希望がある。
釣りっぽいタイトルに惹かれてw、ぼんやり考えたことを残してみた。w